原爆の図 丸木美術館へ |
中国に留学していた頃、大変お世話になった団塊の世代の“同学”(同級生)二人から、「丸木美術館へ行くので、その後、会いませんか?」というメールを、ひと月ほど前にいただいた。
実は、「原爆の図」で知られる丸木美術館は東松山にあり、川越からそう遠くない距離にある。なのに今まで行ったことがなかった。ちょうどいい機会なので、「私がクルマを出します」ってことで三人で出かけることに。
東武東上線の東松山駅で待ち合わせをして、早速美術館へ向かったが、とにかく場所がわかりにくい。「原爆の図」は有名な絵画なので、もう少し道路標識があってもいいと思うのだが、西に通りすぎ、東へ帰り、ようやくたどり着いた。
さて、「原爆の図」。水墨画家の丸木位里氏と油彩画家の丸木俊氏夫婦の共同制作で、原爆直後の広島を中心に、長崎、第五福竜丸が帰った焼津等を描いた15部からなる屏風絵となっている。
1950年の第一部「幽霊」から1982年の「長崎」まで、32年間をかけて描かれた作品を見て感じたのは、一貫した作家の憤怒とともに、人間の奥深い「業」だった。「人間は生まれによって尊いのでも賤しいのでもない。その人の行為によって尊くも賤しくもなる」と釈迦は説いたが、核の問題を考える時、私は「業」という言葉をなぜか思い出してしまった。
美しい富士山と共に、日本人ならば15部からなるこの屏風絵、一度はご覧になることをおすすめする。館内は、夏休みの自由研究に勤しむ中高生がちらほら見られた(なぜか女子ばかりだった)。
ただ、ちょうど夏の原爆記念日~終戦記念日の時期なのか、第1部~第4部は神奈川県立近代美術館に、第7部、第12部は広島県立美術館に貸し出しされていて、多くはレプリカを見ることになったのはちょっと残念だった。
二階は、丸木氏のアトリエがあって、畳敷きの図書室となっている。1960~90年代の絶版になった反戦・平和関係の書籍が数多くあり、久しぶりに絵本『ひろしまのピカ』を読んだりして30分あまり時間をつぶしてしまう。
そのほか、水俣の図、アウシュビッツの図、沖縄戦の図なども常設展示。館内をひと通り見終えると、心にズシンと重いものを抱えてしまうのは否めない。
なお、丸木俊氏は「原爆の図」があまりにも有名だが、『うみのがくたい』『うさぎのいえ』等の子ども向け絵本でも知られている。私も子どもの頃、母親によく読んでもらった。
午前中、丸木美術館をゆっくり見て、午後は武者小路実篤が関わった毛呂山町の「新しき村」へと向かった。
原爆の図 丸木美術館ホームページ
原爆の図―THE HIROSHIMA PANELS
著者/丸木位里、丸木俊
発行/小峰書店
15枚の連作「原爆の図」をはじめ、南京大虐殺、沖縄戦、三里塚、水俣など、戦後日本人の回避できない主題をまっこうから描いた丸木位里・俊共同制作の絵画を収載し、俊による「絵とき」を付す。英文併記。(Amazonより)