【青森旅行】駅、青函連絡船、石川さゆり |
青森駅。上野駅と対で考えてしまうのは、やっぱり石川さゆりの名曲「津軽海峡冬景色」の影響が大きい。上野駅に始まり青森駅に終わる、その先には青函連絡船が‥‥。これぞ昭和の国鉄の旅だ。この感覚、平成生まれの若者には分からないだろうな。
私が子供の頃は、青函トンネルの開通(1988年)なんて、はるか未来のことと思っていたけれど、いつの間にやら開通から四半世紀が経ってしまった。ということは、連絡船が廃止されて同じ月日が経ったのか。
実は、青函連絡船自体には7年ほど前に乗ったことがある。お台場に係留されている羊蹄丸だ。ここの「青函ワールド」は本当によくできたジオラマだった。昭和30年当時の青森駅の様子を再現している。また、青函連絡船の最後の出航シーンの映像上映があり、これがいい。ナレーションは一切なし、乗客の蛍の光の歌声だけで、機関士や駅員の姿をえんえんと映した後、最後は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をBGMに、吹雪の海峡をゆく連絡船で終わるのだ。
2013年の青森駅は、連絡船への通路はなくなり、玄関口の座を東北新幹線の新青森駅に奪われて、何やら中途半端さだけが残る印象だった。
ところで、港近くを歩いていると「青函連絡船戦災の碑」という記念碑に目が留まった。
第二次大戦末期の1945年7月、米海軍艦載機の攻撃により、青函連絡船「翔鳳丸」「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、8月10日、終戦の5日前には「亜庭丸」が青森湾で撃沈され、131人の犠牲者を出したという。また、津軽海峡と函館湾でも攻撃を受け、青函連絡船は全滅。今も、津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が永久の眠りについている、と、沈没地点と共に書かれてあった。
青森の港と連絡船「八甲田丸」は20世紀の産業遺産だ。(続く)
石川さゆり ベスト&ベスト
津軽海峡・冬景色~天城越え
演奏/石川さゆり
販売/プルーク
石川さゆりのベスト版。津軽海峡・冬景色、天城越えなどを含む全12曲収録している。