【青森旅行】恐山の宿坊に泊まる(1日目) |
結局、JR大湊駅から下北駅まで、途中、斗南藩士上陸の地に立ち寄りつつ、50分ほどかけて歩いた。下北駅に到着して恐山行きのバスの時刻表を見ると、午前9時発、大湊行きの汽車の到着時刻に連絡したバスの後は、午後2時までなかった。仕方なく駅に隣接したトヨタレンタカーで小型車を借りることにした。
汽車の中で恐山のホームページを見ると宿坊があるらしい。予約はしていないが、せっかくここまで来たのだからぜひ宿泊してみたい気がした。恐山に泊まれなくとも、どこまで行くか、何があるかわからないので、とりあえず一泊二日24時間、レンタカーを借りることにした。
日本地図でみると、下北半島の真ん中にポツンと恐山があるので、何だかクルマで10数分もあれば到着しそうな気がしたが、実際には十数分で深い山の中に入り、左右にハンドルを切りながら山道を30分弱走らせることになった。確かにタクシーで4000円はかかりそうな距離だ。
所どころにお地蔵様が並ぶ深い森の中の道を抜けると、青い湖が見えた。宇曽利湖(うそりこ)だ。そして、前方に朱色の橋が。三途の川を渡る橋である。クルマを下りて橋を渡る。この向こうは異界だ。ちょうど行者のような旅人が先に渡っていった。あの山道を歩いてきたのか。
橋の上から宇曽利湖を眺めると美しい薄青色をしているが、周囲は玉子が腐ったような硫黄のにおいがする。視覚の気持よさと臭覚の気持ち悪さ、とてもアンバランスな感覚がした。
総門の前にある入山受付で、今晩、宿坊に泊まりたい旨を伝えると、受付の男性は電話で寺務所に確認を取り、「一人なら大丈夫なので、午後、寺務所に申し出るように」とのこと。よかった。まずは入山券500円を払って境内へ。
総門をくぐると、目の前に禅寺特有の厳格な印象を持つ山門が見える。先ほどまで青空だったのに、山門の向こうの空が暗く、雲行きが怪しい。山の天気は変わりやすいというが、「恐山」の名にふさわしく、何やら背筋が寒くなる空だった。
境内のあちらこちらで、石が積まれ、色鮮やかな風車が回っている。これは水子や、親よりも先に死んだ幼子の霊をなぐさめるためにあるという。
本尊が安置された地蔵殿の向かって左側には、石ころばかりの荒れた岩場が続いている。岩場のあちこちにポツンとお堂や観音像が立っている。また一帯には、塩屋地獄、血の池地獄、賽の河原等、それぞれ地獄の名称がつけられている。一周りすると、ちょっとしたトレッキングだった。ウォーキングシューズが真っ白になってしまった。
“地獄”を抜けると、宇曽利湖畔、白砂の美しい極楽浜に着いた。絵だけ見ると、タヒチかどこかのリゾートビーチに見えなくもない。だが、恐山を覆う独特の硫黄臭、誰もいない静けさが「彼岸」という言葉を感じさせた。一本の風車がクルクルと回っていた。
霊場を一周すると、ちょっと気分が悪くなった。私は火山性のガスがどうも合わないみたいだ。
その後、寺務所で宿泊の受付。チェックインは17時ということ。5時間ほど時間が空いたので、午後、いったん恐山を後にし、大間崎までドライブをした。大間崎へのドライブは別途ブログに書こうと思う。
さて、17時に恐山に帰り、宿坊「吉祥閣」へ。宿坊という響きと裏腹な豪華観光旅館のような雰囲気に驚いた。
決して華やかではないが、格調高くかつ近代的な建物なのだ。左下はロビー、右下はエントランスの観音像。
部屋に通されて、これまたびっくり。20畳はある和室にふとんが一つ敷かれている。仲居さん(?)に聞くと、通常は団体宿泊を想定しているけど、お一人様ですので」とのこと。
床の間には掛け軸が一本。和のセンスあふれる清潔な洗面台。テレビがないところが大いに気に入った。
座卓には仏典と禅の本が二冊置かれていた。これが唯一の“エンタテインメント”だ。この夜、南直哉著『語る禅僧』を夜更けまで読み込んでしまった。
18時から、食堂で「参籠者(宿泊者)」そろっての夕食。全員で10人ほど。食事前にお坊さんによる食事前の簡単な説法があり、「五観の偈(ごかんのげ)」をみんなで唱える。
一 計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。
二 忖己德行 全缺應供 : 己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。
自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。
三 防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪など三つの過ちを持たないことを誓います。
四 正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。
五 為成道業 因受此食 : 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。
今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。
心の底から、普段の食事について反省をした。特にランチ、多忙にかまけて、何も考えずお腹をふくらませることだけを考えたりしている。この偈文、うちのリビングに貼っておきたいと思った。
さて、お料理は禅の精進料理。朱塗りの食器が美しかった。お坊さんから、ごはん、お茶をみんなで入れ合うように指示があり、その縁で食事後、同じテーブルの者同士で旅の目的とかを語り合ったりした。
食事後はロビーのテレビで、全員で恐山の一年についてのビデオを見て、解散。
温泉は小滝の湯、冷抜の湯、薬師の湯、花染の湯と、屋外に四か所あり、二箇所は男女別々、二箇所は混浴となっていた(!)。境内は真っ暗闇。宿坊で懐中電灯を借りて、お風呂に向かう。さすがに天然温泉で気持ちがいいが、火山性ガスがきついので、窓は開けっ放し、最長10分までにするよう注意書きが書かれていた。
夜10時に消灯。宿坊のすべての明かりが消えるが、自分の部屋では電灯をつけてよい。何だか眠れず、深夜1時すぎまで、禅の本を読みふけってしまった。(続く)
ことりっぷ十和田・奥入瀬 弘前・青森・恐山
(ことりっぷ国内版)
発行/昭文社
必要最低限の情報がコンパクトに掲載されており、重宝したガイドブック。歩く旅行に持ち歩きやすい判型だった。