【青森旅行】後書きとして、中年の国内旅行の楽しみ |
もっとも長く旅したのは大学生時代。中国チベットからヒマラヤを越えてネパール・カトマンドゥへ、カトマンドゥからパキスタン・カラチに飛び、ペシャワールから今度はカシミール山脈のクンジュラブ峠を越えて中国の新疆ウイグル自治区へ、そして留学先の大連まで2か月間、旅をしたことがあった(そして、その後すぐ、A型肝炎が発病して大連で1か月間入院した)。
旅行作家の蔵前仁一さんに『旅ときどき沈没』『沈没日記』という著書がある。“沈没”とは「ある街に留まって動けなくなること」。海外旅行においてそれはそれで楽しいのだが、私の場合、どうも集中力がなくなり、日記でも書いていないと何をやっていたか思い出せなくなる。20代、そんな旅を多くした。今となっては、ちょっともったいなかった気がする。
一方、今回のように6日間であっても、「密度」の高い旅は、記憶が脳裏に鋭利に刻まれるようだ。
学生時代以来ずっと海外志向で、トラベルジャーナルという海外旅行業界の出版社で編集者をしていた頃があった。海外旅行は、何よりファーストインプレッションの点で国内旅行に勝る。1980年代までならともかく、現在、国内の主要な国道をドライブすると、北から南までチェーンのコンビニがあり、ファミレスがあり、牛丼屋があり、時折、大規模ショッピングモールの案内板に出くわす。所沢を走っているのか、青森を走っているのかわからなくなる。「いわゆる国道」の風景にうんざりする。
ところが、そんな「いわゆる国道」から一歩、二歩踏み込んで目を凝らすと、海外旅行では感じ得ないヒト、モノ、コトの仔細に驚くことが多い。それは日本の地に生まれ、育ったからこそ、経験と知識を通じて感じ、深く考えられるものだ。
今回、恐山で三途の川を渡った。
例えばヨーロッパの古い教会で、またインドネシアの仏教遺跡で、言葉にならない厳粛さを感じることがある。ただ、「三途の川」はたいていの日本人が子どもの頃、父母もしくは祖父母から「家庭の道徳」として教わったものだ。物心ついたときから身体に染み付いた経験と、目の前にあるヒト、モノ、コトとの協奏、この感動は国内旅行ならではだ。
日本の旅は、日本で働き、暮らす、子どもを育てる、そんな人生経験が、旅の「密度」を高めるものだな、とも思った。
今回、青森を旅した。あと47の都道府県がある。次はどこへ行こうか。
下は青森の旅で一番目に焼き付いた風景、三途の川の橋を渡るヒト。行者だろうか? バックパッカーだろうか? あの日、不思議に思ってその姿を写真に収めたが、いま見直すとと「旅人」という言葉がしっくりくる。
「旅人」、素敵な言葉だ。
2013年 夏の終わりの青森の旅
■8月26日(月)- 1日目
出かけたきっかけ
各駅停車で青森へ
■8月27日(火)- 2日目
斗南藩士上陸の地へ
恐山の宿坊に泊まる(1日目)
本州最北端、大間崎へのドライブ
■8月28日(水)- 3日目
恐山の宿坊に泊まる(2日目)
憧れの津軽鉄道に乗る
太宰治の故郷、金木を歩く
■8月29日(木)- 4日目
中年一人旅のビジネスホテルを考える
駅、青函連絡船、石川さゆり
小雨の三内丸山遺跡を訪ねる
あおもり犬がいる青森県立美術館
洋食屋「亜希」のミックスフライ定食
■8月30日(金)- 5日目
八甲田雪中行軍遭難の足あとを訪ねて
八甲田、天然のガーデニングに感嘆
■8月31日(土)- 6日目
鳥瞰図絵師、吉田初三郎が愛した種差へ
東山魁夷の作品「道」の道を歩く
ウミネコが去った蕪島、鮫の漁港へ
各駅停車で帰郷、13時間半の旅
沈没日記
著者/蔵前仁一
発行/旅行人
「沈没」とは世界各地を駆け回る旅行者たちが、一ヶ所で長く滞在して動かなくなってしまうことだ…。世界中を旅してまわっている著者の旅行エッセイ集。『旅行人』等に掲載したものをまとめた。(Amazonより)