長楽寺跡、クスノキの巨大な枯木 |

河内の実家の近くに、巨大なクスノキの枯木がある。根元から3メートルくらいのところで幹が二股に分かれ、不思議な姿をしている。
私が子供の頃は、横溝正史原作の映画『犬神家の一族』の佐清(スケキヨ、実は青沼静馬)が、死体として池の水面から両足を突き出した姿に見えて、ちょっと怖かった。また、二股に別れた部分は、夏になると青い雑草が映えて、小学生の同級生男子は「股の間から毛が生えている」と大笑いしていた。
しかし、大人になって改めてこの巨木を見ると、日本中どこでも見たことのない神々しい姿をしている。枯れて、伐採された部分まででも高さが20メートル以上あるので、生きていたころは40~50メートル近い巨木だったのでは。もちろん、当時周囲には高い建築物はないので、かつてはランドマーク的な存在だったと思われる。
ここが「長楽寺」というお寺の跡だったことを知ったのは、大人になってからだ。灯台下暗し。あまりに身近なものには、その出自やらに興味を抱かないようだ。
巨木の隣に小さな神社がある。そこに東大阪市が立てた史跡の案内プレートがあった。立てられたのは平成15年(2003)年、私はすでに東京に出てしまっている。
長楽寺跡
推古天皇(593~628)の創建と伝えられ、江戸時代の長楽寺の敷地は、東西約60m、南北約36m、多くの建物とともに建治3年(1227)の梵鐘がある有名なお寺でした。
一名「岸田寺」と呼ばれていました。このあたりは、古代には、長瀬川や平野川の氾濫原が広がっていたと思われます。そこで「岸」あるいは「岸田」は地形から付いた名前で、「堂」は長楽寺のことだといわれています。
本尊の十一面観音は、疱瘡(天然痘)を治す仏さまとして信仰を集めていました。井原西鶴の『本朝若風俗』に「河内の国岸の堂という観音の場に煎豆を埋みて(天然痘の治るのを)祈る事あり」をはじめとして多くの書物に、天然痘やはしかを治す仏として紹介されています。東成区大今里の暗越奈良街道にある文化3年(1806)の道標に「右きしのだうハンぜおん」と刻まれています。
しかし、この有名な寺も、明治になると疱瘡よけの信仰も薄れ、檀家も少なかったため維持が困難となり、明治25年(1892)廃寺となり、建物や仏像などすべて神戸市中山寺通7丁目へ移されましたが、太平洋戦争によって消失してしまいました。
このあと、寺は再興され、関帝廟として在中国人の信仰を集め賑わっています。境内に長楽寺と刻んで手水鉢がただ一つ遺品として置かれています。
平成15年3月 東大阪市
「推古天皇の創建」という“いわれ”だけは聞いていたが、神戸の関帝廟とのゆかりなんて初めて知った。かつては、病気治癒の神様・石切神社のように、治癒を求める参拝客が訪れる風景が見られたのだろうか。

河内・堺・和泉(歴史散歩 27)
編さん/大阪府の歴史散歩編集委員会
発行/山川出版社
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