長瀬墓地、親孝行としての「墓掃除」 |
実家の墓地は「河内七墓(かわちななはか)」の一つ、長瀬有馬墓地(現長瀬墓地)にある。河内七墓は、奈良時代に行基によって作られた7つの墓地で、「行基菩薩河内七墓」ともいわれている。とても、長い歴史を持つ墓地だ。
墓地内にある阿弥陀院には鎌倉時代の作と伝えられる阿弥陀如来座像があるほか、融通念仏宗を中興させた法明上人の有馬御廟がある(写真上)。
法明上人は、1279年(弘安2年)摂津国深江の生まれ。初め密教を修学したが、後に念仏に帰依。43歳の時、石清水八幡大士の神勅により、融通念仏宗第7世を継承。念仏宗教団の基礎を固め、中興の祖と称えられるようになった。
晩年は故郷深江に隠遁し、念仏三昧の生活を送り、1349年71歳で死去。ここの墓地で荼毘に付され、卵塔を建立、遺骨が埋葬された。
そんな墓地にまつわる長い歴史を知ったのも、大人になってからだ。子供の頃は、妖怪人間ベムが出てきそうな単なるコワい火葬場だった。
お正月実家に帰省して特にやることがないので(実家の諸事は弟に任せてしまっている)、墓掃除に行くことにした。長男なのに何一つ「イエ」のことを放棄してしまっているので、ささやかな親孝行というか、先祖の供養というか。
実家から1km以上離れているが、せっかくなので歩いて行くことにした。昔、自転車で走り回った町がどうなっているか、つぶさに見てみたかったので。
子供の頃、自転車で走った東大阪の町工場街を歩く(2014/1/1)
20分ほど歩いて東大阪市営長瀬墓地に到着。入り口でバケツに水を入れて、柄杓を借りる。
とても広い墓地だが、子供の頃から何度も訪れているので、家のお墓はすぐに見つかった。
早速、墓石に水をかけて、持参したたわしで墓石を磨く。「大正五年四月創建」という文字がくっきりと浮き出た。大正五年(1916年)といえば、第一次世界大戦の最中だ。調べてみると、アルベルト・アインシュタインが一般相対性理論を発表し、レーニンが『帝国主議論』を、森鴎外が小説『高瀬舟』を執筆、夏目漱石が小説『明暗』が新聞に連載開始された年である。
小さなお墓だけど、再来年2016年は創建100周年なのか。大きな気づきだった。何かお祝いをしなければ。
スーパーマーケットで買った花二束を供えて、線香に火を点ける。ろうそくを持って来たけれど、風が強くてなかなか火が付けられなかった。数分間苦戦して、ようやく白い煙がたなびき、両手を合わせた。
数年ぶりに訪れたので、墓地の中をひと通り回った。
墓地の正門から続く斎場に続く表通りには、第二次大戦の戦没兵士のお墓が連なる。いずれも、てっぺんに星が付いた背の高い墓だ。この墓地の一等地といえる。
また、斎場近くには日露戦争の「戦没者の墓」(右下)も。無縁塔(左下)に比べると、供えられている花は少なかったが、お祈りをしてから墓地を後にした。
生まれ育った街は、離れてみて初めてわかる発見があるものだ。
大阪府の歴史散歩-下
河内・堺・和泉(歴史散歩 27)
編さん/大阪府の歴史散歩編集委員会
発行/山川出版社
史跡・文化財を訪ね歩く、都道府県別のシリーズ。住所・交通機関や地図により、実際にたやすく見て回れる。文化財公開施設・おもな祭り・散歩便利帳・参考文献・年表など付録も充実。「北河内」「中河内」「南河内」「堺・泉北」「泉南」で構成。(Amazonより)